講演会


演 題 「新青年」の作家たちトーク&ディスカッション「横溝正史」
講 師 探偵小説研究家&小川範子研究家 浜田知明氏
月 日 2009年10月10日(土)
会 場 ミステリー文学資料館

 東京・池袋のミステリー文学資料館の開館10周年を記念して、開催された「新青年」の作家たちトーク&ディスカッション。

 雑誌「新青年」は1920年に博文館から創刊され、1950年で廃刊となる。

 その間、横溝正史と「新青年」はどういう関係であったのかがテーマ。
 最初は、西田正治に触発され、「恐ろしきエイプリルフール」を書き投稿する。それが、入選し十円というを賞金を手にする。

当時の十円といえば大金である。これに味をしめた横溝がせっせと投稿をしたとういう投稿家時代。
 しかし、柳の下にそうそうドジョウはいないということで、創作をあきらめ、外国雑誌をあさってショート・ショートをを翻訳しては送っていた寄稿家時代。
 そして、映画を作るために乱歩から「トモカクスグコイ」と呼ばれ上京したのはいいが、映画の企画はぽしゃり責任を感じた乱歩に頼まれた森下雨村のもと編集者なったと時代。
 最後は、雨村の失脚により博文館を辞め専業作家となった時代。の四つに分けられるという。

 「新青年」という雑誌は当初は、「青年よ大志を抱け」という青年を育てようという雑誌だったのだが、雨村の次に編集長となった横溝はモダンニズムを取り入れ、昭和モダンニズムの代表的な雑誌をなったそうだ。
 横溝の編集者時代の功績として乱歩に『パノラマ島奇談 』『陰獣』を書かせたこと、横溝のキャンペーンにより『陰獣』は大ヒットしたそうだ。
 浜田知明氏とは同世代のはずなのだが、横溝や乱歩と同じ時代を過ごしたのではないか?と思えるくらいいろんなことをお話してくださった。