女考


美女
 犬神家の一族
               名 前              野々宮珠世(ののみやたまよ)

 

家 族

 

祖父:大弐(亡)
祖父:犬神佐兵衛(亡) 
祖母:祝子(亡)
父:(亡)
母:晴世(亡)
叔父:青沼静馬 
年 齢  26歳
職 業

 

 

 

容 姿

 ああ、女中の言葉は誇張ではなかったのだ。金田一耕助も、いままでそのような、美人にお眼にかかったことは一度もなかった。少し仰向けかげんに、いかにも楽しげにオールを操る珠世の美しさというものは、ほとんどこの世のものとは思えなかった。少し長めにカットして、先をふっさりカールさせた髪、ふくよかな頬、長いまつげ、格好のいい鼻、ふるいつきたいほど魅力のあるくちびる--スポーツドレスがしなやかな体にぴったり合って、体の線ののびのびした美しさは、ほどんど筆にも言葉にもつくしがたいほどだった。

 美人もここまでくるとかえって恐ろしい。戦慄的である。 

(角川文庫版 19P)

 

 それにしても、いまこうして眼近に見る珠世の美しさはいよいよ尋常ではなかった。顔かたちの美しさはいうまでもないとして、水にぬれたその肌のほんのりと血の気におう美しさは、まるで照りかがやくばかり、およそ女色に心を動かしたことのない金田一耕助もこのときばかりは胸が躍った

(角川文庫版 24P)

 

 さて、三人から少しはなれたところに、珠世がただ一人、美しく、端然と座っている。こうして静かに取りすまして座っている珠世の美しさは、いよいよ尋常のものではなかった。いつかと違って白襟の黒紋付きを着ているので、いくらかは老けては見えるものの、その神々しいばかりの美しさは、実に、歯ぎしりが出るようだった。

(角川文庫版 58P)

 

 そこへ珠世があがってきた。さすがに珠世も青ざめて、瞳もかたくとがっている。しかし、それにもかかわらず、彼女の美しさにかわりはなかった。いやいや、ものにおびえて、どことなく頼りげな風情が、いっそうしおらしく、美しく、古臭いたとえながら雨になやめる海棠の、そこはかとないはかなさが、彼女の美しさをいっそうひき立てているようにさえ見えるのだ。

 

 海棠(かいどう):バラ科の落葉小高木。

 中国原産。唐の玄宗皇帝は、酔って両脇を支えられ、頬を染めた楊貴妃の美しさを海棠の花にたとえて表現しました。その故事から海棠は「睡花」の異名を持つようになりました。

(角川文庫版 130P)

 

 その珠世はいまも、スフィンクスのようになぞをひめて無表情である。
 仮面の佐清と松子夫人をとりまいて、ずっと居並んだ犬神家のひとびとが、ことごとく大なり小なり興奮しているのに、珠世ばかりは端然として、神々しいばかりに静かである。金田一耕助はその静けさを憎いと思った。その無表情が気に食わなかった。そしてあまりの美しさを怖いと思った。

(角川文庫版 184P)

 

 ああ、無心に眠りけている珠世の美しさ! さっきクロロフォルムをかがされたとき、少しもがいた痕跡が乱れた髪や、ひそめた眉のあたりに残っているが、それさえ、彼女の美しさを傷つけるものではなかった。少し汗ばんだ頬の上に葦の葉の間をもれる陽の光が、金色の斑をおどらせている。息づかいが多少荒いようである。

(角川文庫版 215P)

 

 犬神家の一族といえば、もうこれだけになってしまったが、そのなかに、この一団からは少しはなれて、珠世がひかえていることはいうまでもない。昨日からのうちつづくショックに、珠世はいくらかやつれていたが、そのために、あの照りかがやくばかりの美しさが、そこなわれるようなことは少しもなかった。いやいや彼女の神々しいばかりの美しさは、くめどもつきぬ 泉のように底なしであった。見れば見るほど美しさは立ちまさってくるのであった。

(角川文庫版 260P)

生い立ち

二十歳になる前に両親を亡くし、犬神家にひきとられる。犬神家では大事な主家のわすれがたみとして、下へもおかぬ丁重な客分扱いを受けていた。 佐清とは幼なじみとして育ち愛を育み、復員を待っていた。
考 察 意志の強い女性である。佐兵衛翁が亡くなった後の犬神家は珠世にとって、決して居心地のよい場所ではなかったであろうが、愛する佐清が復員するのを待っていた。そして、遺言状の公開によりに起こる連続殺人事件。恋する女の感で佐清は偽者ではないかと疑う。珠世にとって大事なのは遺産ではなく、佐清だったのでしょう。 
映 像

1954年8月10日公開/東映京都/千原しのぶ(23)

1970年8月25日~9月29日放映(全6回)/日テレ/(水川美矢子):酒井和歌子(21)

「蒼いけものたち」という題名で放映された、金田一耕助の登場しない作品です。ミニスカートからすらりとのびた脚と、笑顔が魅力的。原作と違い、結婚相手となる三人の孫たちもなかなかいい男なので、美也子も誰と結婚しようかと悩んでいる内に連続殺人事件がおこる。 

1976年11月13日公開/東宝/島田陽子(23)

横溝ブームの火付け役となった作品。長い髪とえくぼが可愛い。当時の島田陽子清純派女優という言葉がぴったりでした。 

1977年4月2日〜30日放映(全5回)/毎日/四季乃花恵(?)

宝塚の女優さんということで、演技が大げさな感じがしましたが、佐清を待たずにひとりで生きていく道を選んだラストは好きです。これでこそ戦後の女性だ。

1990年3月27日放映/テレ朝/財前直見(24)

高飛車な珠代です。可愛らしさには欠けますが、佐清の前では可愛い子ぶってます。

1994年10月7日放映/フジ/牧瀬里穂(23)

2004年4月3日放映/フジ/加藤あい(22)

2006年12月16日公開/東宝/松嶋菜々子(33)

ちょっとばかり薹が経っていますがとても綺麗な珠世です。一途に佐清を思う気持ちが伝わってきました。

ただ、身長170cm!とにかく大きい。小夜子役の奥菜恵が佐智を夫に選ばないようにと詰め寄る場面は、見下ろしている珠世の方が詰め寄っている感じに見えました。 

女王蜂
名 前 大道寺智子(だいどうじともこ) 家 族 祖父:衣笠智仁 
祖父:鉄馬(亡)
祖母:槇
父:日下部達哉(衣笠智詮
母:琴絵(亡)
義父:欣造
年 齢 18歳
職 業  
容 姿

 昭和二十六年五月二十五日をもって、満十八歳になる大道寺智子の美しさは、ほとんどくらべるものがないくらいであった。

 母の琴絵も美しかった。しかし、その美しさはあくまで古風で、ひかえめで、なよなよしてたよりなげであった。それにくらべると、智子の美しさはには積極性がある。彼女は純日本風にも、また現代式にもむく顔である。瓜実顔といえば瓜実顔だが、いくらかしもぶくれがして、両のえくぼに愛嬌がある。それでいておすましをしているときの智子は、神々しいばかりの気高さと威厳にみちていた。といって、冷たい感じがするというのではない。なんといったらいいのか、智子の美しさにはボリュームがあった。そこに彼女と母とのおおきなちがいがある。
 それに服装なども、母の琴絵があくまで古風に、和服でとおしたのに反して、そこに時代の相違で、智子はいつも洋装をしている。その洋装なども、かくべつけばけばしい装飾はないのだけれど、いかにも趣味が高尚で智子のひとがらを思わせた。頭も母に似て素性のよい髪を、肩のあたりでカットして、さきをゆるくカールしているだけのことだが、それがふっくらとした卵形の顔をくるんで、まるで貴い宝石をつつんでいる、艶のいいビロードのような感じであった。
 とにかく諸君があらん限りの空想力をしぼって、智子という女性を、どんなに美しく、どんなに気高く想像してもかまわない。それは決して思いすぎということはないのだから。

(角川文庫版 11~12P)

 

 もし、諸君がたそがれごろ、船の棹の岬の突端、鷲の嘴のふもとを通 ったら、そこの世にも美しいものをみたであろう。
 きりたてたような鷲の嘴の絶壁のうえに、女がひとり立っていた。青黒い椿の新緑を背景に、燃ゆるような落日をまともにうけてたたずんでいる彼女のすがたは、さながら一幅の絵だった。ふっさりと髪にたらしたら黒髪が、さやさやと海からくる微風にたなびくたびに、きらきら金色にかがやき、それが白椿のように蒼ざめた、おんなの顔にこのうえもなく微妙な陰影をなげかける。
 いうまでもなくそれは智子だった。

(角川文庫16P)

 

 ああ、あの美しさ。気高く、威厳にみちていながら、しっかもなお、麝香猫のような全身から発散する性的魅力。むろん、彼女自身それにはきがついていない。気がついていないからなお恐ろしいのだ。危険なのだ。
 彼女が何気なく男を視つめる。何気なく眉をひそめ、何気なく微笑する。そして、無邪気に頬をあからめ溜め息をつく。だが、その一顰一笑に魂のおののきを感じない男があるだろうか。しかも、彼女はなにも知らないのである。

 美しい椿林をさまよいながら、金田一耕助は戦慄する。いくどもいくども戦慄する。からはいま彼女を女王蜂にたとえた、あの警告状の文句を思い出しているのである。

 

 一顰一笑(いっぴんいっしょう): 顔を顰(しか)めたり笑ったりすること。表情のちょっ とした動きのこと。

(角川文庫版 51P)

 

 玄関へ入ると支配人をはじめ従業員が、ずらりと整列していたが、誰もかれも智子の美しさには眼を見張らずにはいられなかった。
 智子はそのとき、簡単な旅行服をまとうているだけのことだったが、天成の美しさはおおうべくもなく、この仰山な迎えに対して、いささかも悪びれるところもないのが、身にそなわった女王の気位 を示している。

 智子はうすく頬をそめながら、だまって頭をさげる。智子はなにも知らないのだけれど、そういう簡単なしぐさにも、無限の魅力があって、それが男の心をときめかすのである。

(角川文庫版 90P)

 

 「まあ、お嬢様のお綺麗なこと!」
 と、思わず感嘆の声をはなったが、それは決してお世辞ではなかったのだ。イヴニングドレスの仰々しさをさけて、若葉色のアフタヌンに真珠の頚飾りと耳飾り。それだけの装飾なのだが、智子のその夜の美しさは、たとえようのないほどだった

(角川文庫版 94P)

 

 すんなりと形よくのびた四肢の均斉を、智子はわれながら美しいと思わずにはいられない。日本人にしては胴がつまっていて、脚のびのびしているのも好ましい。むっちりとボリュームのある肉付きはゆたかで、しかも、精悍な活力を秘めてひきしまっている。

(角川文庫版 100P)

 

 この家でああいうわかわかしいわらい声をたてるのは智子しかいないはずである。しかし、それは月琴島や修善寺で知っている智子とは、あまりにも調子のちがったわらい声であった。男の心をとろかすような、甘い、コケティッシュなわらい声。蓮っ葉で、いくらかみだらなわらい声でさえある。

(角川文庫版 201P)

 

 大道寺欣造のうなずくのを見て、井波良平は立ち上がった。そして、すぐに智子と神尾秀子をつれてきたが、そのとき金田一耕助は、ひとめ智子のすがたをみたとたん、なんとも名状することの出来ない戦慄が、背筋をつらぬ いて走るのを禁じえなかったのである。
 ああ、智子のなんというはげしい変わりよう! 
 炎えるように赤いアフタヌーン!。黄金のネックレスに黄金のイヤリング、うでにも黄金の腕輪をはめて、長くひいた眉、真紅にぬ った唇。それはまるで烈日の下に咲きほこる、真紅のダリヤのように強烈な美しさだった。しかも変わったのは服装や化粧の好みばかりではない。耕助の顔をみて、にっこりわらう流し目にも、妖婦の媚びがあふれている。
 金田一耕助はまたはげしい戦慄をおぼえ、思わず咽喉を鳴らして生唾をのみこんだ。
 「いらっしゃいまし。ちっとも存じませんものでしたから……」
 神尾秀子が挨拶をする。智子は無言のまま、またにっこり笑った。彼女が坐るとその全身から、なにかしら妖しい光芒がほとばしって、見るものの眼がくらめくようであった。

 「まあ、なんでございましょうかねえ」
 智子が首をかしげて艶然とつぶやいたが、ああ、その声……それはまるで、男の心をとろかすような甘い蜜のような声だった。

(角川文庫版 208P)

 

 しかし、その夜の歌舞伎座の観客席に、ほかにどのようなうつくしいひとがいたとしても、おそらく智子に立ちならぶものはなかったであろう。純白のりんずの、肩だけに大きな花束を染めと刺繍でおいた大胆な訪問着、帯はさび朱の唐織で、模様は牡丹、髪は日本髪を思わせるようなアップスタイルで、ヒラヒラの銀のかんざしをあしらった智子のすがたは、客席にいても廊下をあるいていても、いまこうしてにこやかに食堂に坐っていても、ひとに眼をみはらさずにはおかなかった。

(角川文庫版 236P)

生い立ち

父はまだ母が妊娠中に、母も五歳の時に死に別れた智子は、祖母の槇と家庭教師の神尾秀子によって育てられる。18歳になり、義理の父の元へ引き取られることになった。

考 察

18年間月琴島で育った智子は、自分が美しいことは知っていたが、その美しさが廻りの人達(特に男性)にどんな風に思われるかを知らなかった。母、琴絵のこともあり祖母の槇や家庭教師の神尾秀子から慎ましやかに育てられたのであろう。

智子は白椿の様な女性であった。だが、継父の元へひきとられ一変する。自分の美しさを賞賛されることにより、智子は白椿から真紅のダリヤへ変わっていく。それが欣造の邪恋の炎をますます燃え上がらせたんでしょうか。 

映 像

1952年2月1日公開/大映/久慈あさみ(30)

原作と違い、幼い時に東京の欣造に引き取られたという設定で、都会育ちでちょっと高ビーな女性になってます。白椿から真紅のダリアへ変化するといった感じはありませんが、さすが、宝塚の元男役スターということで、凛々しくて華やか(ちょっと年はいってますが)大輪の薔薇の様な智子です。琴絵役の時の乗馬シーンは凛々しく、唐様の着物で踊る姿はとても艶やかで美しい、そりゃ日下部も速水も惚れちゃいます。                  

1978年2月11日公開/東宝/中井貴恵(21)

若くして亡くなったスター、佐田啓二の忘れ形見ということで、鳴り物入りでデビューした中井貴恵。しかし、高峰三枝子、岸恵子、司葉子というベテラン女優達に囲まれて、華がないというか、薔薇の花束の中のかすみ草といった感。欣造の元へ引き取られ、男達の賞賛を受け、変わっていく姿もない。多門連太郎(沖雅也)は彼女の何処に惹かれたのか??

1978年8月12日〜26日(全3回)放映/毎日/片平なぎさ(19)

大きな瞳が特徴の智子です。三人の婚約者候補たちは出て来ませんが、義弟の文彦、使用人の遊佐三郎、頼朝を研究するために大道寺家に滞在している多門連太郎らに愛されています。遊佐、多門の二人は、智子を愛するがために殺され、智子は自分の所為だと苦しみます。あの瞳に見つめられたら、たいていの男はクラっときちゃいます。歴代の智子の中では一番イメージが近いと感じがします。

1990年10月2日放映/テレ朝/井森美幸(22)

誰かを殺してしまう、という悪夢に悩まされている智子です、蜂の羽音を聞くと記憶が飛んでしまい、おかげで連続殺人は自分がやったのではと思ったりしてます。おまけに、最初から多門連太郎(川崎麻世)LOVEだったりします。月琴島にいるときは、着物に肩にかかるボブ、東京へ行ってからは洋装にくるくるパーマ。これで、智子の変化を現したようです。

1994年4月4日放映/TBS/墨田ユキ(27)

ストーリーは原作とかなり違います。色っぽくはありましたが、気品のかけらもない智子です。花にたとえるなら、食虫花でしょうか。

1998年4月7日放映/フジ/初瀬かおる(25)

2006年1月6日放送放/フジ/栗山千明(21)
不死蝶
名 前 鮎川マリ(あゆかわまり) 家 族

祖父:矢部木衛

祖母:玉造乙奈

父:矢部慎一郎

母:鮎川君江

母:玉造朋子

妹:矢部都

従弟:玉造康男

従妹:玉造由紀子

年 齢 22歳
   
容 姿

 もしひとが玉造家の別館の、ベランダへ眼をやったら、そこに世にもうつくしいひとを見出して、思わず眼を見はらずにはいられなかったであろう。

 じっさい、満ち足りた眠りから眼ざめて、朝の入浴をすませたばかりのマリは、たとえようもないほど美しい。
 マリはいまベランダへ籐椅子を持ち出して、家庭教師の河野朝子を相手に、かるい食事をとっている。そのマリの全身を緑の緑陰からもれる七月の太陽が、まぶしいばかりにふちどっている。
 それは今朝の太陽とおなじように、若さと健康のシンボルのようであった。

(角川文庫版 32P)

 

 マリは美しいばかりでなく、気高く、気性が寛闊であった。向こうでも家庭では母国のことばを使っているとかで、日本語の発音なども標準語にちかく、由紀子よりきれいなくらいだった。
 だから、最初の反感や軽蔑とははんたいに、いまではマリにたいする由紀子のかんじは、子供らしい憧れでみちている。年齢からいえば、それほど大きなひらきはないはずなのだが……

 

 寛闊(かんかつ):ゆったりしていること。寛大なこと。度量の広いこと

(角川文庫版 39P) 

生い立ち  
考 察                   
映像化 1978年7月1日〜15日放映(全3回)/毎日/竹下景子(25)
1988年2月2日放映/TBS/有森也実( 21)           
三つ首塔
名 前 宮本音禰(みやもとおとね) 家 族 曾祖父:佐竹 善吉(亡)
曾祖伯父:佐竹彦太(亡) 
曾祖叔父: 佐竹玄蔵
父:宮本省三(亡)
母: 宮本節子(亡)
伯父:上杉誠也
伯母:上杉和子(亡)
叔父: 佐竹建彦
年 齢  23歳
職 業  
容 姿

 幼いときから私はきれいな子といわれてきた。年頃になると、絶世の美女ともてはやされた。

(角川文庫版 6P)

 

 「あはっはっは、失礼しました。しかしお嬢さんも少しご謙遜がおすぎになったようですね。あなたが非常に頭脳のするどいかただってことは、われわれみんな存じております。あなたの学校はじまって以来の、才色兼備の才媛でいらっしゃるということはもっぱらの評判のようですからね」

(角川文庫版 60P)

生い立ち

両親を亡くしたが、伯母夫婦に育てられた音禰は美しい女性に成長する。伯母を亡くした後も伯父に愛され・・・しかし、その愛というのがちょっと違ったんですね。
レイプした男を愛してしまうなんて、ちょっと信じられません。で、思い出すのが歌舞伎「桜姫東文章」の桜姫。盗賊の権助に犯されて子供まで産み、 女郎屋に売られても権助についていく。歌舞伎の世界だとありかなとは思うんですが。三島由紀夫は「桜姫」をモチーフに「サド公爵夫人」を書いたとのことだが、悪女、美女にもいろいろあるものだ。 

映 像

1956年4月25日公開/東映東京/中原ひとみ(20)

お人形の様な音禰です。自分の意思があるのかどうかわからない、セリフも少ないし。でも可憐ではあります

1977年5月28日~6月18日放映(全4回)/毎日/真野響子(25) 

1988年7月2日放映/テレ朝/松原千明(30)

最年長の音禰です。ひらひらのワンピースは無理ありすぎ(-.-)、レオタードシーンもありません。レイプされた後、俊作を愛する訳ではなく、レイプされたことをばらされることを恐れ、脅されての逃避行でした。三つ首塔の井戸に落ちた後、俊作の本当の愛を知るといった原作と違う設定。悪い男、ひどい男と思っても愛してしまう、悲しい女の性。これが音禰なんですが・・・。この女優にはそれを演じるのは無理?ってこんな脚本になったんでしょうかね?

私はこの女優があまり好きではないでこんな暴言を吐いてしまいます。

1993年7月5日放映/TBS/(座光寺音禰)安永亜衣(24)

原作とストーリーが全く違います。音禰は遺産相続の為に殺人まで犯す女になってます。記憶から消したい。